古本屋の始めかた:神奈川古書組合より

2019年04月

                                              川崎支部 アニマ書房 春田道博
 
 神奈川のチベットと云われる神奈川県川崎市麻生区の、小田急線百合丘駅前に
2000年10月に開業し、2003年に神奈川古書組合へ加入した。
開業当時は同業者がまじかに1軒、隣りの駅裏に1軒、大型量販店が2軒あり、
その後同じ区内に1軒開業したから、最盛期の商売相手は5軒あった。
今はアニマ書房と3分の1に縮小した大型量販店1軒だけの計2軒だけに減った。
そのアニマ書房も東日本大震災が起きた年の暮に店売りから撤退し、
ネット販売だけとなった。但し本の買取依頼だけは変わらなかった。
そしてこれからお話しすることは一昨年10月に経験したその買取のことである。
 知人Kさんを介して買取依頼の話があったのは一昨年7月である。
古本屋にとって、7月、8月の猛暑時の買取は大変である。二、三百冊程度であれば
苦にはならないが、それ以上の数量となればアルバイトに頼るか同業者に応援を
依頼するしかない。
そんな思いから10月迄に延ばして貰うことにした。
 プライバシーの問題があるから、具体的な家族構成には触れないが、要するに
四人の家族が残した書籍の整理、処分であった。その家の二階から降ろした分、
納戸に積み上げられた分、書斎の本棚などに残置されたものなどを、廃棄するもの、
査定するもの、単行本、新書、文庫本、大型本にそれぞれ分類し、運び出す作業は
1週間続いた。心理学、精神分析学、宗教、工学関係など、およそ四千冊になった。
車への積み込みには3日を費やした。
 この買取の作業中に実に不思議な体験をした。その体験した場所は3年前に
亡くなったその家の主人の書斎であった。
玄関から上がってすぐ左側の部屋が書斎であった。
はじめて書斎へ入った時は、部屋の中は足の踏み場もないくらいの乱雑な
状態であった。
応接用椅子、書類が入れられた数台のロッカー、雑多な生活用品が入った
段ボールなどがいくつも積み上げられてあった。
壁一面の書棚へ近づくことさえも難しく、作業を行う場所としてのわずかな空間も
ようやく確保しなければならなかった。
書斎ではあるが、茶飲み道具や食器が入った戸棚、小さな仏壇、生活道具なども
置かれていた。
それはひとつの家の中にもう一つの家が存在するかのような不思議な光景であった。
この書斎での作業が最後になった。
午前10時から始めた作業は延々午後4時過ぎまで続いた。
単行本や大型本はPPビニール紐で結わえる作業を、書斎の真ん中に置かれ
亡き主人が使用していたと聞かされた少し大きめの机の上で行っていた時の
ことである。作業をしている私の右側から、私を見ているような気配を感じたのだ。
ふしぎに思い、右側を向くと勿論そこには誰かがいるわけでもなかった。
気の迷いと思い、しばらく作業を続けていると今度は左側から私を見ている気配を
感じた。それは右側よりも強い気配であった。
これまで本の買取は数多く経験していた。故人の遺された本の整理も依頼された
ことも幾度があったから、その時もなんの偏見も予断も持たなかった。
 書斎での作業が終わり、結わえた書籍はすべて部屋から運び出し、玄関ホールに
積み上げた。
玄関ホールの右側の部屋、つまり書斎と向き合った部屋がその家の居間であり、
その居間の奥にも納戸風の小さな部屋があった。車に積み込む前の小休止で、
その家の依頼主でもある女性から勧められるままに、私はその居間の椅子に腰かけ、
出されたお茶の接待を受けたのである。
その瞬間、その奥の納戸風の小部屋からまたもや強い人の視線のような気配を
感じたのである。
私は思わず「今日はどうも他人(ひと)から見られているような気がしてなりません」
と卒直な感想を口にしたのだ。
これまでそのような言葉で買取依頼のお客と対応したこともなかったし、
そんな感想を自ら口にすること自体が自分自身でも予想しなかったのである。
その家の女性は「あら、随分感が鋭いのね」と一言口にし、それで会話は途切れるように
終わった。そして買取作業はすべて終わったのである。
 この後日談をお話しして置かねばならない。
この買取は知人を介しての話であったことは既に申し上げた通りである。
その知人Kさんへ買取が終わったことの挨拶に出向いた時、Kさんが何気なく口にした
言葉が衝撃的であった。
「あの家の亡くなったご主人は、3年前に訳ありの亡くなり方をしたからね」と。
 私はこれまで霊の存在を信じたことはなかった。霊感などとも無縁であったし、
特定の宗教を対象にした思想営為を試みたことなどもなかった。
唯物論者として「宗教」を総括していた時期もあった。そしてマスコミに登場する
霊能者や霊感を口にする俳優などは手品師程度にしか思わなかった。
興味を抱くのは民俗学に登場する自然の動きが醸し出す霊感現象(心的現象論)
くらいであろうか。
 それにしてもこうした私の体験は何処から来たのであろうか。
特別体調が良くなかったわけでもなく、書斎に窓はなかったから風が流れてくる
ようなこともなかった。
その家の内情について事前に知らされたことはなにもなかった。
家族四人のうち三人が同じ信仰を持ち、特にその中の一人は熱心な信徒であったこと、
亡くなった主人のみが信仰を持たず、大手企業の部長職を勤めていたが、
休日には昼日中から酒に酔い、駅前の繁華街で独り踊っている様を目撃され、
周囲の失笑を買っていたことなどは、すべて後日耳にしたことである。
「訳ありの亡くなり方」についても、誰かに問うこともなかった。
 そして私の買取が終わったその年の暮れに、その家の人たちは住み慣れた家、
土地を処分し、移住先も告げないままに引っ越したのである。

                       相模支部 香博堂オンライン

これから古本屋をやってみようかなと考えている皆様こんにちは。
広報のねこまんま堂さんにこの記事を書くように言われ、
「前に書いたからいいじゃん!」と、ちょっと反発してみたところ、
「ダメに決まってるでしょ!」と怒られた香博堂オンラインです。

何度かこのブログで記事を書いたことがあるのですが、
自分で書いた記事を見返してみるともう3年以上経過していて、
時のたつ事の速さに驚かされます。
組合に入って数年たちましたが、入った頃の仕事に対する思いや
考え方は、実はあまり覚えていません。
「古本を売る」という事自体は当初と変わりありませんが、今は当時では
想像がついていなかった方法や手法で古本を販売しています。
なぜ何とか今までやってこれたのかなと考えると、商品を売ることに
対して研究し、考えながら続けてきたことが大きいのではと思っています。
私はどこかの古書店に勤めていたわけではありませんので、
「こうやれば売れる。売るためにはこうやらなきゃいけない。」と、
教えてくれる人はいません。
すべては自分の考えを自分の責任で実践して行くのみなのですが、
間違った方法を続けていたとすれば、恐らく今古本屋はやれて
いなかったはずです。
組合のブログなんでかっこいい事の一つも書こうかと思ったのですが、
先ほど私が考えた事というのは、古本屋でなくってもどんな業界の人でも、
商売を続けていく以上ごくごく当たり前の事なんですよね。
ただ、この業界はちょっと様子が違います。
インターネットが普及する前はどこの駅にも数件の古本屋があって、
決まって不愛想なオヤジさんがいて、何となく繁盛しているように
見えたもんですが、最近ではほとんど見られなくなってしまいました。
今、古本屋をやっていこうと考えた場合、インターネットが普及する
前と後では大きく環境が変わっていますので、当然当時のような
販売方法では売り上げを確保できることはできませんし、
最近のネット環境の中で仮に今売れている方法があったとしても、
おなじ販売方法を続けているだけでは、最終的には売り上げを
確保していく事はできないでしょう。
日々研究・努力を続けていかなければ、生き残っていく事が
できない業界になったといえるのではないでしょうか。
個人的には古本屋がどんどんいなくなってきている昨今の理由は、
ここら辺が大きいのではないかなと考えています。
夢や本が好きで古本屋を始めたいと考えている方に一声かけると
するならば、「それだけではやっていけないよ。」と声をかけたいですかね。
いやなことも、つらいことも、体力的にしんどいことも、屈辱的なことも、
今までの収入よりも下がってしまうことも、古本屋になればすぐ経験する
ことになるでしょう。
ひょっとしたら、好きだった本自体が嫌いになることもありえますから、
そうなってしまうのであれば、今のまま趣味で書籍と接していく事が
良いのかもしれません。
それでも古本屋をやりたいと、業界に飛び込みたいと考える方が
いらっしゃるのであれば、 情熱と根性・努力と研究心をもって
飛び込んできてください。
それさえあればこの業界でも食っていけると思います。
私は今でもそんな感じです。
(古本屋の独り言でした・・・。)

                                                     相模支部 香博堂オンライン

                川崎支部 ブックサーカス
元住吉の店を自分でやり始めてから1年が過ぎ、思っていたより
さらに店は売れないものだなーと実感する日々を送っています。
私、元々とある古書店でアルバイトとして入り、それからそちらの
社員となり、その後独立し今に行き着くわけですが、アルバイトの
頃の自分はあまりに酷く、周りの先輩たちにかなりの迷惑をかけて
いました。(レジが覚えられない、接客の声が出ない、お客様が
来られると、裏に隠れてしまう等々かなり病んでいました。)
今の自分の店にその時の私が来たら即、首ですが、当時の店主は
何故か引き続いて雇って頂き、、社員にしてもらいました。
社員になりしばらくして。初めて金曜日の市場に行った時は、
振り手の方が<鬼のフドウ>そのもので、恐ろしいところに来て
しまった!との思いは、いまだに忘れられません。
(今の金曜日はそんなことはなく、その時も私が小心な為の幻影と
思われます。)
それでも市場に通い続けるうちに、次第に面白さを見出せるよう
にはなっていきましたが、定期的に市場で品物を売買し、それを
商売として回転させていくのはなかなか難しいなぁと思い、
店主に相談すると、<じゃあ、どうしたらうまく回る?>と
返されました。
わたしがそのまま黙ってしまうと、いくつかのヒントのようなものを
くれましたが、それ以上は自分で考えて。で終わりました。
以後も何か相談、質問をすると、<じゃあ、どうしたら?>
<本当にそれが正しいの?>と常に返されたため、最初はげんなり
しましたが、相談する前にその二つを考えながら話すようになりました。
ただ、私自身が基本的にネガティブなので、延々<じゃあ、どうしたら?>
<本当にそれが正しいの?>のループにはまり、私が黙って終了という
ことが多かったと記憶しています。
それでも割合自由にさせてもらったおかげで、試行錯誤を繰り返す
ことができ<じゃあ、こうしたら>とやってみて、結果を体験させて
もらったのは、良い経験であるとともに、この仕事を続けようという
小さな覚悟のようなものができたのが一番の収穫でした。
まあしかし、翻ると店の現状は厳しく、試行錯誤するのにもお金が
かかるしなぁと思っていると<じゃあ、お金がかからない方法は?>
<すべてやりつくしたの?>との声が聞こえてくるので、もうほんの
少しだけ、力を尽くそうかと思います。
                                                                川崎支部 ブックサーカス

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