川崎支部 アニマ書房 春田道博
 
 神奈川のチベットと云われる神奈川県川崎市麻生区の、小田急線百合丘駅前に
2000年10月に開業し、2003年に神奈川古書組合へ加入した。
開業当時は同業者がまじかに1軒、隣りの駅裏に1軒、大型量販店が2軒あり、
その後同じ区内に1軒開業したから、最盛期の商売相手は5軒あった。
今はアニマ書房と3分の1に縮小した大型量販店1軒だけの計2軒だけに減った。
そのアニマ書房も東日本大震災が起きた年の暮に店売りから撤退し、
ネット販売だけとなった。但し本の買取依頼だけは変わらなかった。
そしてこれからお話しすることは一昨年10月に経験したその買取のことである。
 知人Kさんを介して買取依頼の話があったのは一昨年7月である。
古本屋にとって、7月、8月の猛暑時の買取は大変である。二、三百冊程度であれば
苦にはならないが、それ以上の数量となればアルバイトに頼るか同業者に応援を
依頼するしかない。
そんな思いから10月迄に延ばして貰うことにした。
 プライバシーの問題があるから、具体的な家族構成には触れないが、要するに
四人の家族が残した書籍の整理、処分であった。その家の二階から降ろした分、
納戸に積み上げられた分、書斎の本棚などに残置されたものなどを、廃棄するもの、
査定するもの、単行本、新書、文庫本、大型本にそれぞれ分類し、運び出す作業は
1週間続いた。心理学、精神分析学、宗教、工学関係など、およそ四千冊になった。
車への積み込みには3日を費やした。
 この買取の作業中に実に不思議な体験をした。その体験した場所は3年前に
亡くなったその家の主人の書斎であった。
玄関から上がってすぐ左側の部屋が書斎であった。
はじめて書斎へ入った時は、部屋の中は足の踏み場もないくらいの乱雑な
状態であった。
応接用椅子、書類が入れられた数台のロッカー、雑多な生活用品が入った
段ボールなどがいくつも積み上げられてあった。
壁一面の書棚へ近づくことさえも難しく、作業を行う場所としてのわずかな空間も
ようやく確保しなければならなかった。
書斎ではあるが、茶飲み道具や食器が入った戸棚、小さな仏壇、生活道具なども
置かれていた。
それはひとつの家の中にもう一つの家が存在するかのような不思議な光景であった。
この書斎での作業が最後になった。
午前10時から始めた作業は延々午後4時過ぎまで続いた。
単行本や大型本はPPビニール紐で結わえる作業を、書斎の真ん中に置かれ
亡き主人が使用していたと聞かされた少し大きめの机の上で行っていた時の
ことである。作業をしている私の右側から、私を見ているような気配を感じたのだ。
ふしぎに思い、右側を向くと勿論そこには誰かがいるわけでもなかった。
気の迷いと思い、しばらく作業を続けていると今度は左側から私を見ている気配を
感じた。それは右側よりも強い気配であった。
これまで本の買取は数多く経験していた。故人の遺された本の整理も依頼された
ことも幾度があったから、その時もなんの偏見も予断も持たなかった。
 書斎での作業が終わり、結わえた書籍はすべて部屋から運び出し、玄関ホールに
積み上げた。
玄関ホールの右側の部屋、つまり書斎と向き合った部屋がその家の居間であり、
その居間の奥にも納戸風の小さな部屋があった。車に積み込む前の小休止で、
その家の依頼主でもある女性から勧められるままに、私はその居間の椅子に腰かけ、
出されたお茶の接待を受けたのである。
その瞬間、その奥の納戸風の小部屋からまたもや強い人の視線のような気配を
感じたのである。
私は思わず「今日はどうも他人(ひと)から見られているような気がしてなりません」
と卒直な感想を口にしたのだ。
これまでそのような言葉で買取依頼のお客と対応したこともなかったし、
そんな感想を自ら口にすること自体が自分自身でも予想しなかったのである。
その家の女性は「あら、随分感が鋭いのね」と一言口にし、それで会話は途切れるように
終わった。そして買取作業はすべて終わったのである。
 この後日談をお話しして置かねばならない。
この買取は知人を介しての話であったことは既に申し上げた通りである。
その知人Kさんへ買取が終わったことの挨拶に出向いた時、Kさんが何気なく口にした
言葉が衝撃的であった。
「あの家の亡くなったご主人は、3年前に訳ありの亡くなり方をしたからね」と。
 私はこれまで霊の存在を信じたことはなかった。霊感などとも無縁であったし、
特定の宗教を対象にした思想営為を試みたことなどもなかった。
唯物論者として「宗教」を総括していた時期もあった。そしてマスコミに登場する
霊能者や霊感を口にする俳優などは手品師程度にしか思わなかった。
興味を抱くのは民俗学に登場する自然の動きが醸し出す霊感現象(心的現象論)
くらいであろうか。
 それにしてもこうした私の体験は何処から来たのであろうか。
特別体調が良くなかったわけでもなく、書斎に窓はなかったから風が流れてくる
ようなこともなかった。
その家の内情について事前に知らされたことはなにもなかった。
家族四人のうち三人が同じ信仰を持ち、特にその中の一人は熱心な信徒であったこと、
亡くなった主人のみが信仰を持たず、大手企業の部長職を勤めていたが、
休日には昼日中から酒に酔い、駅前の繁華街で独り踊っている様を目撃され、
周囲の失笑を買っていたことなどは、すべて後日耳にしたことである。
「訳ありの亡くなり方」についても、誰かに問うこともなかった。
 そして私の買取が終わったその年の暮れに、その家の人たちは住み慣れた家、
土地を処分し、移住先も告げないままに引っ越したのである。