川崎支部 アニマ書房 春田道博

 東日本大震災で被ったアニマ書房の被害は大きく、震災直後は店の休業を余
儀なくされた。店内の文庫本専用の本棚が倒壊し、店の中央に据え付けた本棚
の天板からも多くの単行本が落下した。壁際に設置した大型の本棚も当初の設
置した位置から大きくずれた。震災の前年に自宅敷地内に設けた在庫用の書庫
では本が崩れ落ちた。しかも未整理のままに乱雑に積み上げてあったため、そ
の多くが床へ落下した。函入の書籍が落下して、函に亀裂が入ったものもあっ
た。自然災害は誰も予測することはできない。こうした被害を誰かに話すこと
はなかった。偶然であったが、地震が発生した時は店内には客の姿なかった。
お客の姿が途切れる時間帯でもあった。人身事故を避けることが出来たのは幸
いであった。そして私自身が店内から外へ避難することで精一杯であった。
 店の復旧には1週間余り要した。本棚の地震対策を終え、散乱した書籍の戻
しや並べ替えをして営業を再開した。だが客足は途絶えたままであった。福島
第一原子力発電所の爆発事故のために、それまでの安全神話が崩壊した。それ
が人文科学に影響を与えたと考えている、人文科学が主体のアニマ書房では急
激に売上が落ち始めた。活字離れが酷くなる一方ではあったが、大震災を契機
に毎月の売り上げが、それまでの6割前後まで低下し、この状態はその年の10
月に店売りを止めるまでに続き、回復することはなかった。書籍の内容に大き
な変化はなかったから、やはり大衆の意識に大きな変化が生じ、この社会の実
像や社会の仕組みに対する不信と嫌悪感が大きなダメージとなり、大衆の意識
に地殻変動が起きたと判断するしかなかった。元々粗末な商店街のアーケード
の蛍光灯も、夜は節電と称して消された。原発事故による電力の供給不足のた
めに、国から要請されたという大義名分であったが、本当は売上が落ち込んだ
ための経費節約に乗じた悪知恵にすぎない。今の商人のみえみえの悪知恵はこ
んなレベルである。東北の災害被災地を除いて、こんな被害を受けたのはアニ
マ書房だけであろうか。零細な小売店は、統計的には現れないが、潜在的には
大きな影響を受けた筈である。神奈川古書組合でもその年から翌年にかけて、
店売りを止めネット販売に切換えた店が多かったのではないか。
 アニマ書房の営業はネット販売だけである。催事には参加していない。その
理由は申し上げない。同業者にはそれぞれの個別的な理由がある。かっては会
館展や有麟堂・藤沢の古書市に参加したこともあるが、いくつかの理由で催事
は辞めることにした。誠に偏屈な店である。ついでに申し上げるならば、ネッ
ト販売は日本の古本屋だけで、アマゾンやその他のグローバル企業の古書売買
のサイトには参加しない。日本の古本屋がシステムの変更をそれ以前の内容か
ら、現在の管理機能「ZIZAI」へ変更したときは、そうしたグローバル企業の
数社から勧誘のメールが来た。特にA社からは露骨な勧誘があった。しかも繰
り返しである。その時のメールはいまでも保存している。最近もS社からから
勧誘電話があった。「アニマ書房は、金を振り込ませて商品を送らない、お客

を騙すようなサイトには参加しない、アマチュアとプロの店とが混在したサイ
トは文化を冒涜するものである」と、冷くあしらい、諭して終わりである。ど
だい、電話勧誘で商売が成り立つという心根が浅ましい。坐って楽して仕事を
する者に限って、ろくな営業しか出来ない。そう考えるのも、営業マンとして
33年の経歴を持ち、培ったノウハウをたっぷり身につけているからである。
 アニマ書房の基本的な考えは、古書の販売とは古書が有する固有な文化の継
承と紹介であり、結果としての販売である。販売方法や価格問題も含めた文化
一般の均一化を目的とするグローバル企業の商品には古書籍の販売は適さない
。古書がもつ無限のオリジナル性、思想的価値を理解できない者は、古書文化
を理解できないどころか、儲かるならば何でも良いというのと同類である。 
 
 文化の均一化とは人間の均一化でもあり、それがやがてファシズムへの道に
通底することは近代史の流れでも明らかである。かってそのような話をしたこ
とがある。たちまち「そんなことで明日の飯が食えるか」と云われた。アニマ
書房は結果論にしか組しない。グローバル企業のサイトへの参加という、文化
の自殺行為、あるいは人間としての自殺行為には加担しないと云う、ただそれ
だけのことである。古書文化の理解とは、思想、哲学、文学、歴史などの書籍
をどれだけ読み、知識を蓄積したか。認識という弁証法を自身に確立できるか
どうか、である。どんな商売にでも共通することは、商いとして成立するかし
ないかである。すべて結果論である。古本稼業に遅れて参加したからには、同
業者の2倍や3倍くらいの知識の収得で間に合わない。テレビを捨てて35年以上
になる。知識、情報、文化は書籍、新聞、ラジオ、インターネットなどの媒体
から得るしかない。本を読みなさいと勧めておきながら、テレビ三昧の生活で
はいつかは商いの限界に突き当たることになる。それは必定である。
 それではこのブログの表題へ入ることにしたい。アニマ書房は日本の古本屋
へ5500点ほど出品している。このなかで最高価格として出品しているのが「金
山發(発)見法」である。昭和15年の出版で、版元は「誠文堂新光社」である
。ネットでの販売価格は「390,000円」とした。入力して10年以上が経過して
いる。入力時の調べでは、この書籍は国立国会図書館の所蔵しかなかった。大
学や全国の図書館には全くなかった。日本の古本屋や、グローバル企業の古本
サイトにも全く見当たらなかった。数年前に日本の古本屋にアクセスしたとこ
ろ、いつの間にかアニマ書房以外の同業者が3店ほどで出品しているではない
か。そのうちの1店の出品価格は175,000円であったと記憶している。これは
いつの間にか売れたようである。残り2店は45,000円、50,000円である。本の
状態に関してはアニマ書房の出品が最も良い。試しに日本の古本屋で検索して
いただきたい。但し昭和15年の出版であれば、経年変化は避けられない。函の
イタミが激しいのである。書籍本体にヤケも見られる。太平洋戦争突入前だか
ら、紙の統制が始まっていたかどうかは知らない。ただ国全体が戦時色の強い
時代であったことは確かで、だが検閲だけは通り抜けているのだ。

 アニマ書房が何故390,000円の価格を設定したか、である。消費税が5%か
ら8%へ引き上げられた時に、日本の古本屋ではシステムとして出品価格を自
動的に引き上げたから、その当座は410,000円ほどの価格になった.。40万円代
では高いと考えて、その後に入力当初の390,000円へ戻した。
 この本が出版されたその当時の日本の鉱業は、特に非鉄金属鉱山は戦時国家
体制に基づく統制を受け始めていた。つまり戦争時の日本は、戦争に必要な金
属以外の鉱山に対して閉山を強いた歴史がある。
 必要な原料としての鉱業製品といえは軍艦の造船に必要な鉄、大砲に必要な
銅、軍艦などの燃料としての石炭である。特に奢侈なものに使用されると見ら
れた金銀は狙い撃ちされ、金山、銀山は統制下におかれ、やがて閉山に追い込
まれた。そのような時代のなかで出版された書籍との位置付けから、390,000
円として設定したのが経緯である。この時代背景がなければ、この価格設定は
無謀極まりないし、現在も秘かに「果たしてこの設定で正しいのかどうか」と
いう疑問すら浮かんでくることもある。こんな価格は思い上がりではないか
・・・と。但しこの書籍は版元在庫切れは勿論、再版の予定もない。この価格
設定について、ブログを読んだ人々にその判断を仰ぎたいところである。
 かって北海道北見市の近くに生田原(いくたわら)町という地名があった。
生田原駅は今も現存する。厳寒の地である。この町は平成合併で遠軽町に組み
込まれた。常紋トンネルを訪れる鉄道ファンならば、この生田原駅を知らない
人はない。この町の戦前にノースキング(北の王とでも訳するのか)という洒
落た名前の、金を産出する鉱山があった。この金山も戦時統制経済の名のもと
に、国家によって閉山させられた非鉄金属鉱山のひとつである。人生の流浪の
末に流れ着いた祖父と伯父が、このノースキングが閉山する前に、相次いで病
死した。祖父は老衰、鉱夫だった伯父は痔ろうという病気で死んだと聞いてい
る。寂寥とした田舎町では納棺の用意も出来なかった。遺体は筵(むしろ)に
包まれ、数人の鉱夫たちの手によって鉱山の社宅から町の火葬場へ運ばれた。

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