相模支部  文雅新泉堂・野崎正幸
 古本屋の店名は、興味深い。
 私がなぜ「文雅新泉堂」と名乗るようになったのか、という話をする前に、少
しユルイ店名考察などしてみたい。
 考え抜かれた(ように思える)名前だと感じたものに「フルホニズム」がある。
店主本人はさておき、この名前からは知性とユーモアが感じられ、スマートでも
ある。平凡な匂いがどこにもないとまでいったら、いかにも褒めすぎだが…。
 自分の名前、またはその一部を取り入れるのはよくみるが、その安直の極みは、
なんと言っても「中島古書店」だろうか。たとえば「ウサギのフクシュウ」など
という商店名とも思えず、その扱い商品の見当もつかない店名に比べれば、「中
島古書店」は、いかにもいさぎよい。しかも「中島書店」ではなく、「中島古書
店」としたところに新感覚の匂いがあり、古文書・和本の専門店への志向も最初
から鮮明だったのだろう。
 古本屋同士は、たいがい店名を呼び合うことが多いのだが、誰も店名で呼ばな
いのが「りぶる・りべろ」だろう。私は「ねえ、りぶる・りべろさん」と誰かが
呼んでいるのを聞いたことがない。なにせ長すぎる。舌がもつれとしまいそうな
のだ。自分がどう呼ばれるかまで考えて命名する人も、あまり多くはいないだろうが、
「川口さん」もその一人というべきか。店名からのメッセージは、明確だから文
句はないのだが…。
 さて、「文雅新泉堂」はどうなのか。20年近く前、古本屋を始めようとしたと
きに、店名はこれで決まり、とわずか5分で決めてしまった。
 当時、私は雑誌のライターをしていた。新刊紹介の記事や、作家のインタビュー
など、本に関連する分野の仕事が多かった。
 その一つとして、北尾トロ『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』という本
を読んだのだ。それを読んでいるときは、まさか自分でも始めようなどとは露ほ
ども思っていなかった。面白そうなことをやっている人がいるものだね、くらい
の感じで読み終えていた。
 しばらくして、古本屋になろうかなと思い始めたのは、それから半年後のこと
だ。なんとなくライターとしての先行きに翳りを感じ始めたのだ。何か副業をや
ろうか、と考えてライター兼業の古本屋という北尾さんのやり方があるね、と思
いついたのだ。
 店舗を持つことなど、考えもしない(開店費用もないし!)。ひたすらオンラ
イン古本屋でいく、と決め込んだ。そうとなれば、まずは自店のホームページを
つくることだ。ホームページと並んで、古本のネットモールに出品すること、こ
の2本立てで営業する。お手本はすっかり北尾トロさんだ。
 古本のネットモールとしては当時はまだアマゾンは影も形もなく、「日本の古
本屋」はあったけど実用には適せず、「イージーシーク」が最もポピュラーだった。
「スーパー源氏」というのもあったが、北尾さんの周辺ではなぜか評判がよくな
かった。(北尾さんとはその後、渋谷パルコで即売展をやったり、果ては長野の
山中で常設店舗を共同経営したり、いろいろ面白い体験を重ねた。)
 とにかく始動するには、ホームページを公開することだ。心中では決めていた
店名をここに書き入れる。文雅新泉堂! 裏に隠された意味は、「文が新鮮どう
だ」なのだ。字面で見ると偉そうだけど、単なる駄洒落だ。ライターが古本屋を
になるのだから、文章が新鮮でなければならないのは当たり前、といったところ。
文賀神仙堂とか、蚊蛾信銭洞とか、文画伸船頭とか、文字ではいくらでもありそ
うだったが、もっともそれらしいものに落ち着いた。
 ふつうには「文雅さん」と呼ばれているが、中には「新泉堂さん」と呼ぶ人も
たまにいる。「文雅」の文字が入った店が、東京に2軒あるので、催事などで一
緒になったときの区別として「新泉堂さん」となることもある。
 名づけるという行為は、心わくわくするものだが、何度も機会があるわけでも
ない。古本屋をこれから始めようとする人は、そのわくわく期を充分楽しむがよ
い。準備期間はあっという間に過ぎて、あとはだらだらとした本番が続いてゆく
のだから。
 わたしも「文雅さん」になって、かれこれ20年。あと何年出来るだろうか、と
いう時期になってきたが、まあ行けるところまで行くつもり…。

                                                                     相模支部  文雅新泉堂・野崎正幸