古本屋の始めかた:神奈川古書組合より

カテゴリ: 古本屋になったワケ

                  川崎支部 ブックスマイル 西野俊幸
 私は現在61歳でインターネット販売専門の古書店を営んでいます。
もとは、サラリーマンで60歳まで会社員として働いていました。
このまま、60歳過ぎても在籍してもいい会社でしたが、若いころから
60歳以降は、自分の好きなように生きていこうと思っていました。
もっと正直に言うと、人に最終判断を仰がずに、自分で最後まで
決めることができることがしたいと考えていました。
しかし、いろんなものを50歳過ぎあたりからのぞいてみたのですが、
なかなか自分にしっくりくるものはありませんでした。
 5年程前に、半ばあきらめかけていた頃、学生時代に友達とよく行っていた、
神保町へいく機会ができました。そのときは古本屋を見にいったわけではなく、
当時の仕事の取引先への訪問でした。
 その取引先に最寄りの駅から歩いていく間に40年近くも前によく通った
街並みがあらわれました。神保町の古本屋街です。
懐かしい思いに駆られながら、仕事の商談後、一軒の古書店の入り口をくぐると、
そこは友達と一緒に英文学の古本をさがしまわったお店でした。
ひとしきり、日常の仕事のことを忘れて古書を手にとってはページをめくりました。
 その後、その場の感傷をもったまま、ある本屋で古物商の始め方という本を買い、
読みふけっているうちに、「そうだ、古本屋も古物商だ!」というひらめきにも似た
感情が沸き起こりました。
それがインターネット販売専門の古本屋をやってみようと思い立った、
「古本屋になったワケ」です。
それからは、神奈川古書組合のホームページをみて、勉強会にも参加しました。
その、勉強会が最終的に古本屋になろうと決断するため、最後に背中を
おしてくれたものです。
                   川崎支部 ブックスマイル 西野俊之
                        https://www.rakuten.co.jp/book-smile/
                   https://store.shopping.yahoo.co.jp/book-smile/


                                湘南支部 藤沢湘南堂書店

昭和54年7月の蒸し暑い日、学生時代の友人から電話が掛かってきた。
「引き受けたバイトが二つ重なって大変なことになった。助けてくれ」と言う。
 どちらか断ればと思うが、どちらも断れない状況と必死にわめき泣き懇願する有様。
一つは和菓子屋の店番、一つはスーパーで古本を売る仕事。
 夏の盛りだ、和菓子屋はクーラー(空調)はあるか、と言うとあると言う。
スーパーも念のため聞くと店頭だと言う。

 「店頭にクーラーはあるか」
 「無い」
 「店頭って言うのは何処なのか」
 「入り口の外だ」
 「外?外って外、夏陽のあたる外!馬鹿じゃねえの」  
 「和菓子屋は立ち仕事か」
 「椅子がある」
 「古本は椅子あるか」
 「外だから無い」
 「無いって一日立ちっぱか」

 新卒の際、就活で受けた数十社の全てから受け入れを断られたことがある。
14歳より慢性腎炎となり、入社前より自分の働き方や病歴を理解してもらう
ために、履歴書に「慢性腎炎、過労な労働は不向き」と書いた結果だ。
一ヶ月バイトしては二ヶ月働かないという新生活が一年程続いた頃の電話であった。
 和菓子屋に行くか古本屋に行くか、身体的な条件からすればどちらにするかは
私にとってはあたりまえの選択だ。

 数分後、私はスーパーの店頭に行くことになってしまった。和菓子屋にいく旨を
伝えると、友人はこちらのやる気を嗅ぎ取りだんだん饒舌になっていく。
 電話の向こうで「和菓子屋はいつも俺が行っているところ」だの「和菓子の知識がいる」
「常連の対応が必要」だの、だんだん話がおかしくなっていく。
最後は完全に命令口調となった。

 「ダメだ、和菓子屋は俺が行く、お前は古本屋に行け」

 どうしてこうなったかいまだに分からない。断りきれなかった。
6日間だけで良いと言う。9時半から20時まで。
一日10.5時間×6日間=63時間・・・・
夏の炎天下の立ち仕事、無理だ、無茶だ、倒れるのは確実だ。
 
 指定の日、小田急線(相鉄線)大和駅近くのスーパーTに向かう。
催事初日は会場設置(セッティング)があるとのことで、早朝8時に集合。
言われるままに、スーパーTの裏口に用意された催事用ワゴンをノロノロと
店頭に引いていくと、雇い主、先生堂書店店主に、そっちじゃない、
こっちだと言われる。
そこは、スーパーTの入り口外側自動ドアと、空調漏れや風避け鳥虫よけ用の
内扉の間のわずかばかりの場所であった。
思いがけない奇跡が唐突にふってわいたのだ。
そこは陽が射さない、内側から冷気が入ってくる砂漠の中のオアシスであった。
さらに、古本販売業者は横浜の先生堂書店だけではなかった。
狭い場所ではあったが、川崎の国島書店さん、東京のラマ舎さんも参加と
なっていた。
会場が狭く一店舗あたりの持ち台数が少ないため、店主同士の話し合いで、
店番は一日二店の当番制となる。当番日以外は休みとなる。
6日間の出勤が4日間となったのだ。
とにかくこんな仕事を一日も早く終わりたいばかりだったが、その日は
私にとって何から何まで好都合になっていく。
 先生堂書店は初日の当番となった。店主たちが帰り、催事場には他店の
バイトさんと私の二人が残される。
残された二人でまたたくまに交替で休憩しようという事になった。
さらに労働時間が減ることとなった。立ち仕事ではあったが自らの
身体に見合った想像もしなかったバイト環境となった。

 しかし驚きはこれだけではなかった。
初日の最初の一時間でこの稼業に痺れたのだ。
面白いと思った。
販売の傍ら終日、本の整理や分野別に本の並べ替えを行ったり、
嬉々として呼び込みしたり、
その日の午後にはいつも店番をしているベテランバイトごときの振る舞いとなった。
その日の夜には古本屋になろうと思っていた。

いくつものバイトをしたが、これを定職にしようとは、一度たりともなっかった。
後々思い至ったが、それまで物販の仕事をしたことがなく,この日初めてモノを
売ることに痺れたというところだろうと思っている。
古本屋でなくても和菓子屋でも良かったのだと思う。
造形もすきなので、和菓子屋に行っていたら和菓子屋になっていたのだろう。

それまで古本屋は好きで客として県内外の古書店は足繁く通っていたが、
自分で古本屋をやろうという発想はまるで無かった。

携帯もパソコンも無い時代だ。
古本屋の仕組みもやり方も業界の情報も調べる術すらまるで分からず、
業界への縁も何も無かった。
大変おこがましく恥ずかしい話だが、専攻は文芸学科であり、
落ちた会社は全てが出版社であった。
よほど活字に繋がる仕事がしたかったのだろう。その時の忘れられた思いが、
商売への覚醒と出くわし、瞬時に何かが噴き上がった思いがする。

先生堂書店に2年間在籍し、昭和57年、29歳の時に独立、組合に入ることとなった。
現在、古本屋に身を投じて40年程になるがこうして記してみると、
スーパーTでの出来事は古本屋業のほんの入口だったのだと思う。
今で言えばアマゾンで書籍を売買するのが古本屋と思いスタートしたのだが、
多くの同業者仲間を得て、自らの技量や想像を超える古書業界の世界を教えられ、
また体験することが出来た。
とは言ってもこの業界のすべてを見聞きしたわけではない。知らぬことの方が多いのだろう。
また、古本屋営業の多様性、実力主義、自らの資質や技量などの点から「これは出来ない」
という限界点も見えてくる。

それでも進もうと超えられないものを超えようと思うのが人間の性だが、そう思う限り
古本屋の最終的な到達点には一生かけても辿り着けないものだと悟らざるを得ない。
すでに故人となられた当組合の大先輩が、晩年「私は未だに本が分からないんですよ」と
客に話しているのを聞いた時は腰が抜ける思いであった。
その方は神奈川一番店のご主人であった。

古本屋はすぐにでも開業出来るが、その奥は果てるところを知らぬ迷宮のようである。
年を重ねても絶えず新たな発見があり、我々古書肆の心をいつの日もをときめかせ
楽しませてくれる。
定年も無くこの天職を生涯出来る古書業界と同業の仲間の存在を、心より有難く思う。
また、この古本屋稼業に導いてくれた若き日の真夏の一本の電話と、
古本屋を強引に押し付けた友に心より感謝していることをここに記しておく。
心よりありがとう。

                         湘南支部 藤沢湘南堂書店

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