古本屋の始めかた:神奈川古書組合より

カテゴリ: 古本屋になったワケ

                        湘南支部 麦の秋書房
 昨年11月に神奈川古書組合に加入させていただきました麦の秋書房です。
店名の“麦の秋”は梅雨の始まるまでの、ちょうど今ごろの季節で、お客さんとの間に
この季節特有の爽やかな風が吹き抜けるような、そんな古書店になれたらいいなと
考え、店名としました。
組合からコラムのお題をいただいた。“古本屋になった理由”。私はこれを書くに当って
ハタと困りました。私には古本屋になった、あるいはなろうとするハッキリとした理由が
思い当たらないのです。このコラムを書くにあったって色々と思いだす作業をしてみた。
私は2002年からホームページを立ち上げて本を売るようになりました。ポツポツと
ネット古書店が出始めた頃でした。本を売るようになったのはそのことが刺激になったこ
とと、自分が面白そうだと思った本が世間の人にどの程度受け入れられるのか、試してみ
たかったからではないのかと、今ではそう思います。店名は今と同じ“麦の秋書房”。当時
はネット古書店が少なかったせいかよく売れたように記憶しています。いただいた注文品
はその日のうちに発送するように心掛けていましたから、会社から帰ってから発送作業で
す。注文品が見つからなくて朝の4時ごろまで捜したこともあります。荷物を24時間受
け付けてくれる郵便局の本局まで自転車で片道15分、冬は辛かったけれども今では懐か
しい想い出です。
ネット版の麦の秋書房もアマゾンが古書を扱うようになってから、何年か前からほとん
ど開店休業状態でした。3年ほど前にプロバイダーがホームページの公開を止めたのを機
に店を閉めました。営業していた10年ほどの間に、誰でも知っている銀幕の大スターの
蔵書の引き取りを経験したり(これは楽しく勉強になる経験だった)、常連さんができた
り、商売抜きの手紙のやり取りをするようなお客さんできたり、リンゴを送ってくれたお
客さんもいました。このような楽しかった記憶がプロの古本屋への後押しをしてくれたの
かもしれません。
古書組合に加入することと、古本屋になる、ということが同義であるならば、組合に加
入した理由は明確です。一つには本を売る場が欲しかったからです。日本の古本屋への出
品、交換会への出品、会館展・古書市への出店を考えました。二つにはある映画作家の自
筆物を掘り起こすことですが、これは実現性の薄い夢で終わりそうなことなので、ここで
は詳しくは書きません。
家の事情があって、おととしの12月に長年暮らしていた東京から神奈川県の湯河原町に
引っ越しました。その際にそれまでに集めていた本を全部移転させました。時間があれば
分別して、半分ぐらいには減らせたと思うのですが、その余裕がなかったのです。10キ
ロのみかんのダンボールで600箱ぐらいあったでしょうか。1箱に20冊入っていると
して12000冊。プロの古本屋さんから見れば大した量ではないのかも知れませんが、
ダンボールからすべて出してみたら、家じゅう本だらけになってしまってボーゼンとしま
した。
考えてみたら、私も今年の10月で70歳、いつどうなってもおかしくない年齢です。
もしそうなった時、この本たちの行く末が気になり出しました。何とか生きている間にみ
んなの行き先を見つけてやろうと思い立ったのでした。現在ネット販売での私の実力は月
に10冊程度、年間で120冊、12000冊をすべて売りさばくには100年かかって
しまいます。そこで、この100年を少しでも縮めるべく売り場を求めて組合に加入させ
ていただいた次第です。
しかしこの計画には解決しなければならない大きな問題があります。それは当店が神奈
川県の西のはずれの湯河原町にあること。きわめて地の利が悪い。交換会や会館展に出品
するにはクルマが必要であること。私は40年の間ペーパードライバーでしたから、東京
や横浜へ本をクルマで運ぶ自信がないのです。ただでさえ高齢者の事故が問題になってい
る今、その統計値に自分が1票を投じることは避けたいのです。当面は日本の古本屋に出
品してどの程度注文が来るのか様子を見てみようと考えています。
組合に加入して良かったなと思うのは、沢山の本を見ることができて、落札価格を知る
ことができてとても勉強になること。それと会員同士の関係が居心地の良いものであるこ
と。この道何十年で70歳になられる組合員の方は珍しくはないと思いますが、私のよう
にまるっきりの新米で、70歳の組合員はかなりの変わり種だと思います。そこで、古書
会館に出入りさせてもらうに当たり、危惧したのはかなり奇異な眼で見られるのだろうナ
、ということでした。しかしそれは杞憂に終わりました。皆さん普通に接してくださり、
分らないことは丁寧に教えてもらえた。話す口調も以前からの知り合いだったような自然
なものでした。これは本当に有り難かった。それと驚いたのは皆さんがとても明るいこと
です。会館のあちこちで笑い声がよく聞こえます。たぶん皆さんが好きなことを業として
いるからこそだと私は感じています。
組合に加入してから思惑と違ってきたかな、と思うことがある。会館に出入りさせても
らうようになって3か月、交換会の沢山の出品物を見ていると欲しい本が出てきます。入
札すると時には落札できる。そもそも在庫を減らすことを目指して組合に入れてもらった
のに、3か月前と比べると確実に在庫は増えている。この傾向はますますエスカレートし
そうな予感がある。早くクルマの問題を解決しなければ、と思い悩む今日この頃ではあり
ます。
本の入力に疲れると家の前にある、蜜柑の木が5-6本植わっているだけの畑に行って
草むしりをします。今は蜜柑の花の盛りで、花の香りに包まれて、泥だらけになって草む
しりをしていると、すぐ頭の上で鶯がホーホケキョと良い声を聴かせてくれます。すると
私は自然の一部の岩になったように擬態をして固まります。すると騙されてくれたのか、
鶯はしばらくの間頭の上で鳴いてくれます。疲れて少しでも身じろぎをすると、鶯は驚い
て逃げて行ってしまいます。しばらくすると遠くの方でまたホーホケキョと鳴く声が聞こ
えてきます。そのうち山鳩が餌をついばみながらトコトコと手の届きそうなところまでや
って来ます。あまり警戒心がない。春の浅いころに網にガンジガラメになっていた山鳩を
網を切って助けたことがある。ひょっとするとそいつかもしれない。それと分るように足
に目印のテープでも巻き付けておけば良かった・・・なんてノンキなことを書いています
が、私の頭の中は惨憺たる5月の注文状況で一杯です。10連休があったのである程度は
覚悟していたのですが。何とかしなければ。結局、草むしりをほどほどにして出品点数を
増やすしかないか。入力頑張ります。
                                                                                    湘南支部 麦の秋書房

                  川崎支部 ブックスマイル 西野俊幸
 私は現在61歳でインターネット販売専門の古書店を営んでいます。
もとは、サラリーマンで60歳まで会社員として働いていました。
このまま、60歳過ぎても在籍してもいい会社でしたが、若いころから
60歳以降は、自分の好きなように生きていこうと思っていました。
もっと正直に言うと、人に最終判断を仰がずに、自分で最後まで
決めることができることがしたいと考えていました。
しかし、いろんなものを50歳過ぎあたりからのぞいてみたのですが、
なかなか自分にしっくりくるものはありませんでした。
 5年程前に、半ばあきらめかけていた頃、学生時代に友達とよく行っていた、
神保町へいく機会ができました。そのときは古本屋を見にいったわけではなく、
当時の仕事の取引先への訪問でした。
 その取引先に最寄りの駅から歩いていく間に40年近くも前によく通った
街並みがあらわれました。神保町の古本屋街です。
懐かしい思いに駆られながら、仕事の商談後、一軒の古書店の入り口をくぐると、
そこは友達と一緒に英文学の古本をさがしまわったお店でした。
ひとしきり、日常の仕事のことを忘れて古書を手にとってはページをめくりました。
 その後、その場の感傷をもったまま、ある本屋で古物商の始め方という本を買い、
読みふけっているうちに、「そうだ、古本屋も古物商だ!」というひらめきにも似た
感情が沸き起こりました。
それがインターネット販売専門の古本屋をやってみようと思い立った、
「古本屋になったワケ」です。
それからは、神奈川古書組合のホームページをみて、勉強会にも参加しました。
その、勉強会が最終的に古本屋になろうと決断するため、最後に背中を
おしてくれたものです。
                   川崎支部 ブックスマイル 西野俊之
                        https://www.rakuten.co.jp/book-smile/
                   https://store.shopping.yahoo.co.jp/book-smile/


                                湘南支部 藤沢湘南堂書店

昭和54年7月の蒸し暑い日、学生時代の友人から電話が掛かってきた。
「引き受けたバイトが二つ重なって大変なことになった。助けてくれ」と言う。
 どちらか断ればと思うが、どちらも断れない状況と必死にわめき泣き懇願する有様。
一つは和菓子屋の店番、一つはスーパーで古本を売る仕事。
 夏の盛りだ、和菓子屋はクーラー(空調)はあるか、と言うとあると言う。
スーパーも念のため聞くと店頭だと言う。

 「店頭にクーラーはあるか」
 「無い」
 「店頭って言うのは何処なのか」
 「入り口の外だ」
 「外?外って外、夏陽のあたる外!馬鹿じゃねえの」  
 「和菓子屋は立ち仕事か」
 「椅子がある」
 「古本は椅子あるか」
 「外だから無い」
 「無いって一日立ちっぱか」

 新卒の際、就活で受けた数十社の全てから受け入れを断られたことがある。
14歳より慢性腎炎となり、入社前より自分の働き方や病歴を理解してもらう
ために、履歴書に「慢性腎炎、過労な労働は不向き」と書いた結果だ。
一ヶ月バイトしては二ヶ月働かないという新生活が一年程続いた頃の電話であった。
 和菓子屋に行くか古本屋に行くか、身体的な条件からすればどちらにするかは
私にとってはあたりまえの選択だ。

 数分後、私はスーパーの店頭に行くことになってしまった。和菓子屋にいく旨を
伝えると、友人はこちらのやる気を嗅ぎ取りだんだん饒舌になっていく。
 電話の向こうで「和菓子屋はいつも俺が行っているところ」だの「和菓子の知識がいる」
「常連の対応が必要」だの、だんだん話がおかしくなっていく。
最後は完全に命令口調となった。

 「ダメだ、和菓子屋は俺が行く、お前は古本屋に行け」

 どうしてこうなったかいまだに分からない。断りきれなかった。
6日間だけで良いと言う。9時半から20時まで。
一日10.5時間×6日間=63時間・・・・
夏の炎天下の立ち仕事、無理だ、無茶だ、倒れるのは確実だ。
 
 指定の日、小田急線(相鉄線)大和駅近くのスーパーTに向かう。
催事初日は会場設置(セッティング)があるとのことで、早朝8時に集合。
言われるままに、スーパーTの裏口に用意された催事用ワゴンをノロノロと
店頭に引いていくと、雇い主、先生堂書店店主に、そっちじゃない、
こっちだと言われる。
そこは、スーパーTの入り口外側自動ドアと、空調漏れや風避け鳥虫よけ用の
内扉の間のわずかばかりの場所であった。
思いがけない奇跡が唐突にふってわいたのだ。
そこは陽が射さない、内側から冷気が入ってくる砂漠の中のオアシスであった。
さらに、古本販売業者は横浜の先生堂書店だけではなかった。
狭い場所ではあったが、川崎の国島書店さん、東京のラマ舎さんも参加と
なっていた。
会場が狭く一店舗あたりの持ち台数が少ないため、店主同士の話し合いで、
店番は一日二店の当番制となる。当番日以外は休みとなる。
6日間の出勤が4日間となったのだ。
とにかくこんな仕事を一日も早く終わりたいばかりだったが、その日は
私にとって何から何まで好都合になっていく。
 先生堂書店は初日の当番となった。店主たちが帰り、催事場には他店の
バイトさんと私の二人が残される。
残された二人でまたたくまに交替で休憩しようという事になった。
さらに労働時間が減ることとなった。立ち仕事ではあったが自らの
身体に見合った想像もしなかったバイト環境となった。

 しかし驚きはこれだけではなかった。
初日の最初の一時間でこの稼業に痺れたのだ。
面白いと思った。
販売の傍ら終日、本の整理や分野別に本の並べ替えを行ったり、
嬉々として呼び込みしたり、
その日の午後にはいつも店番をしているベテランバイトごときの振る舞いとなった。
その日の夜には古本屋になろうと思っていた。

いくつものバイトをしたが、これを定職にしようとは、一度たりともなっかった。
後々思い至ったが、それまで物販の仕事をしたことがなく,この日初めてモノを
売ることに痺れたというところだろうと思っている。
古本屋でなくても和菓子屋でも良かったのだと思う。
造形もすきなので、和菓子屋に行っていたら和菓子屋になっていたのだろう。

それまで古本屋は好きで客として県内外の古書店は足繁く通っていたが、
自分で古本屋をやろうという発想はまるで無かった。

携帯もパソコンも無い時代だ。
古本屋の仕組みもやり方も業界の情報も調べる術すらまるで分からず、
業界への縁も何も無かった。
大変おこがましく恥ずかしい話だが、専攻は文芸学科であり、
落ちた会社は全てが出版社であった。
よほど活字に繋がる仕事がしたかったのだろう。その時の忘れられた思いが、
商売への覚醒と出くわし、瞬時に何かが噴き上がった思いがする。

先生堂書店に2年間在籍し、昭和57年、29歳の時に独立、組合に入ることとなった。
現在、古本屋に身を投じて40年程になるがこうして記してみると、
スーパーTでの出来事は古本屋業のほんの入口だったのだと思う。
今で言えばアマゾンで書籍を売買するのが古本屋と思いスタートしたのだが、
多くの同業者仲間を得て、自らの技量や想像を超える古書業界の世界を教えられ、
また体験することが出来た。
とは言ってもこの業界のすべてを見聞きしたわけではない。知らぬことの方が多いのだろう。
また、古本屋営業の多様性、実力主義、自らの資質や技量などの点から「これは出来ない」
という限界点も見えてくる。

それでも進もうと超えられないものを超えようと思うのが人間の性だが、そう思う限り
古本屋の最終的な到達点には一生かけても辿り着けないものだと悟らざるを得ない。
すでに故人となられた当組合の大先輩が、晩年「私は未だに本が分からないんですよ」と
客に話しているのを聞いた時は腰が抜ける思いであった。
その方は神奈川一番店のご主人であった。

古本屋はすぐにでも開業出来るが、その奥は果てるところを知らぬ迷宮のようである。
年を重ねても絶えず新たな発見があり、我々古書肆の心をいつの日もをときめかせ
楽しませてくれる。
定年も無くこの天職を生涯出来る古書業界と同業の仲間の存在を、心より有難く思う。
また、この古本屋稼業に導いてくれた若き日の真夏の一本の電話と、
古本屋を強引に押し付けた友に心より感謝していることをここに記しておく。
心よりありがとう。

                         湘南支部 藤沢湘南堂書店

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